袴田巌さんは、いわゆる「袴田事件(Wikipedia)」により死刑が確定し投獄されながらも、必死の訴えで再審をくり返し、2024年9月26日に差し戻し無罪。同年10月9日付で検察が上訴権の放棄手続きを行ったため、晴れて完全なる無罪の身となりました。
袴田さんは雄踏町出身ということもあり、当サイトでも大いに関心のある事件となりました。
それにしても、当時としても疑われる証拠が多く、さらに最新科学をもってしても袴田さんに結びつけるのはむずかしいものばかり。いやむしろ、捜査機関による積極的なねつ造が次々と明らかになるお粗末な事態に。
明らかに恣意的な冤罪事件です。検察が犯人だとみた人間は、100%「犯人にしよう」という、ゆがんだエリート意識を感じさせます。
正義と善良をモットーとする検察庁の捜査方法として、これは大いに疑問を抱かざるをえないものです。
一歩まちがえば、ごく普通に暮らしていた私たちの家に、明日「おまえは強盗殺人の犯人だ」と令状を持った警察がやってくるということなのです。しかも裁判をすれば死刑・・・こんな恐ろしいことがあってよいのでしょうか?いいはずがありません。
ちょっとした勘違いで、自分や、子どもたちの未来がすべて消え失せることになるのです。
袴田巌さんはこれで晴れて自由の身となりますが、御年は88歳。(記事執筆時点)47年もの人生の空白を、いったい誰がどうやって償ってくれるというのでしょうか。しかも周りの必死の努力がなければ、死刑が実行されていた可能性すらあるのです。
現在の政治、公立機関には、しっかりとした自浄能力のある部署を設置し、あらゆる点でチェックを入れていく必要があります。
今回の事件では、もっとも慎重であるべき機関でも、とてつもない間違いを起こすということが判明しました。
どんな方法で調べようとも所詮は人間。あらゆることは間違っているという前提に立てなければ、道はゆがんでゆく一方です。
袴田巌さんとご家族にはまず祝福を。そして残りの人生がせめて幸せであってほしいと願います。